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はじめに
1.成田から、パリへ−初めての海外
2.あれがカンヌだ
3.カンヌの地形
4.HOTEL NOGA HILTON
(ノガ・ヒルトン・ホテル)

Part2Part3Part4
はじめに
 橋口亮輔監督作品「ハッシュ!」が、カンヌ国際映画祭「監督週間」に正式招待され、橋口監督はじめ、主演の田辺誠一、片岡礼子、高橋和也が参加することになった。5月12日〜17日の予定でカンヌにでかけた。一行はさらに、「ハッシュ!」宣伝担当のミラクル・ヴォイスの伊藤敦子、アルファエージェンシー(高橋和也所属事務所)の万代博実、スタッフポイント(田辺誠一所属事務所)の宇野隆史、そしてシグロの山上徹二郎、小川真由、佐々木が加わって、計10名。山上・佐々木は、パリで「花子」(佐藤真監督作品)タイミング作業のため一足早く5月10日に成田を出発。橋口監督たちは5月12日に成田を発ち、ドゴール空港で山上・佐々木と合流し、カンヌに入った。田辺、宇野、伊藤は一日遅れの5月13日夜カンヌに到着。5月14日午後5時から、「ハッシュ!」オフィシャル上映が、はじまった。
 これは、これが初めての海外となった、佐々木のレポートでもある。
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1、成田から、パリへ−初めての海外

 成田を発った飛行機は、新潟から日本海に出た。私は千島列島からアラスカにでるのだろうと思ったが、全然違ってハバロフスクをかすめてシベリア大陸を縦断する形で北を目指し、大陸と北極海の間を巡り、スカンジナビア半島を右に見ながら南下、バルト海を飛び越し、今度はヨーロッパ大陸を縦断するごとくパリに入るというルートだった。なぜか、樺太上空での大韓航空機事件のことがちらりと頭をかすめるなど、今や時代錯誤も甚だしい自分の認識に、われながら呆れてしまった。朝食は済ませてきたが、昼を食べる間もなく飛行機に乗ってしまったので、初めての機内食の味も新鮮でまた格別だった。ついでに、スプーン、フォーク、ナイフを記念に失敬しておいた。

 飛行機から眺めるシベリア大陸には、人を遠ざける冷たい気品と荘厳さを感じさせられた。ハバロフスクからしばらくの間、起伏に富んだ山々や谷々が眺められ、これらを巡って流れる細い川が、蛇のようにゆったりとうねって見える。なんという川だろう?緑がありそうだが、人は住んでそうにない。しばらくしてのち下を眺めると、事態は一変、ただだだっ広い平野で、黒っぽい大地となり、また、驚くほど幅の広々とした川が見える。それは、海に向かって、黒々とした流れをゆっくりゆっくりと、なにかに後押しされるような感じで、そこに居た。流れているというより居るといったほうが、ぴったりだ。新潟では阿賀野川の川幅も見たが、これに比べたらどうだろう10倍はありそうだ。これが、いわゆるツンドラ地帯の風景なのだろうかと、まじまじと見る。それこそ人が住むどころか、荒涼をイメージしてしまった。ところで、帰国しての朝日新聞で、ロシアのサハ共和国、レナ川上流のレンスクで「大寒波に見舞われたシベリアでは、厚い氷塊が雪解け水をせき止めて洪水を起こしており、街全体が水没、3万人が避難した」という記事を読んだが、私たちがその上空を飛んでいたまさにその時に、同じ川ではなかったにせよ上流の街では苦しんでいる人たちも居た事を知った。が、そのときは全く認識がなく、ただ眺めていた。

 同じ大陸でもヨーロッパ大陸は人の手の歴史を思った。緑が多く一面に畑や森で、これには非常にビックリして飽きずに下を眺め続けた。座席は飛行機の右窓際、進行方向右側しか見られないが、山がなく起伏の少ない巨大な平野に圧倒されつつ、広々した畑や森の中に都市が点々と連なっているのを見ると、むしろ都市はこれらに囲まれて存在しているという感じを強く持った。畑は、緑と黄と茶の色に分けられ、その1枚1枚が大きいこと大きいこと、日本では見られない眺めだ。眺めながらふっと、高校時代の地理の授業を思い出した。緑と黄と茶の意味することは、輪作障害による地力低下を防ぐため土地を3分割し、3年周期で耕作するという三圃農法ではなかろうか、と。
 パリもそうした都市の1つで、やはり畑と森に囲まれて、ある優雅さを感じさせる。きっとセコセコしてなくて、長い歴史の中で、それを守り育んできた自信を空から感じた。また、山のないせいか空間に広がりがあって、のびのびとした雰囲気を醸し出していた。

 ドゴール空港に到着。同行の山上が、ここの空港には野ウサギが住んでるんだと言う。まさか!冗談だろうと思いながらもよく見ていると、いるんですね、これが。ピーターラビットの歌なんか口ずさんだりして、陽気な気分になる。しかし、パリは夕方の6時頃、日本時間だと夜中の2時頃のこと。パリは夕方とは言えまだ陽は高く外は明るい。体は眠る体勢に入っているのに、目がランランとしている。疲れて眠むたいがまだ昼だよと自分に言い聞かせて体を支えている、変な感じだ。だいたいが夜の7時でもまだまだ陽が高い、9時ころにならないと日は暮れないのだ。

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2、あれがカンヌだ

 カンヌには、パリからさらにエールフランス機でニースに向う。この飛行機の中でちょっとした体験をした。私たちの座席の前には、カーテンが束ねられている。前から順に飲み物が配られだした。ノドが渇いたところ、ちょうどいいやと楽しみに待っていたが、カーテン手前で止まり、それっきり後ろには来ない。飛行機が飛び立ち水平飛行に移るとカーテンは引かれ、そのうち何らやいい匂いがしてくる。機内食が配られている。こちらには飲み物だけだった。あちらとはクラスが違うのか!

 ニース空港には「監督週間」派遣の出迎えが手配されて、車でカンヌに入る。空港で、それぞれの荷物を載せようとカートを探すが1台も見あたらない。しかし、ないわけではない。どこかからかカートを持ってきているのだ。さらに、お金がかかるような事が、プレートに書かれているようだ。とりあえず、出迎えの人たちが用意したカートに荷物を載せた。出迎えの2台の車で、高速道路を突っ走る。メーターは150〜160をふらふら。「マイルじゃないよね、キロメートルだよね」。車の性能がよさそうで、小さい割には広々とした車内、かなり飛ばしても安定した乗り心地でした。「翼よ、あれがカンヌの灯だ」というわけにいかなかったが、山あいから海に面したカンヌの街を初めて観る。ともかく着いた。

 宿舎着が現地時間の午後9時30分ころ、日本時間で朝4時30分ころのこと。橋口監督たちは、成田を昼の12時30分出発だから疲れもピーク。しかしまずは腹ごしらえと、早々近くのレストランでブイヤベースに舌鼓を打つこととする。配られてきたブイヤベースの見事さに一同しばし感嘆。その刹那「佐々木さんカメラ廻ってないよ!」の声。そう今回の私の役目はビデオの記録係。しかし、まだ荷解きができていない、手ぶらである。根性のなさを反省。おいしい料理やワインに元気を取り戻してか、さらに夜のカンヌ散歩兼2次会組が宿舎に戻ったのは深夜3時頃とのこと。私は、夜の散歩は失礼して宿舎に戻って、先に休んだ。

 カンヌの第1印象は、椰子の木がすぐに目に飛び込んできたので、日本の南紀白浜だった。市内の交通手段は、バスもあるがほとんどは車。しかも小型車が圧倒的で、たまにパジェロなども見かけたが、大型車はほとんど見ない。フランス人は、プジョーやルノーなど小型車、日本で言えばサニーとかマーチのような車を好むようだ。と言うか、道にあわせて自分たちの車を選んでるような気がする。 高速道路も国中を縦横に走れるよう完備されているが、車を通すために建物を壊して道を広げたり、石畳の道を壊したりはしないようだ。(これはパリで聞いた話だが、1度は石畳を剥がしてコンクリートの道にしたそうだが、これではいけないと元の石畳に戻した、と)。フランス人は、大きな体をして、窮屈そうに小型車に乗ってるように見えるが、どうも見かけほど居住性は悪くはない様子だ。また、カンヌの日中は、日差しが厳しくとてもまぶしい。さらに暑い。けれど、海辺の街にかかわらず、日本の海岸べたと違って潮の匂いがなく、べたべたした感じもない。肌はいつもサラサラ。街を歩いたり、時間がなくて走って汗をかいても不快感がない。寝る前に風呂に入らなくても、ぐっすり眠れたのには大助かりだった。これも、日本とは違う体験だった。ちょっと日陰に入るだけで涼しい、心地がいいくらいだ。湿度のせいでしょうね。

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3、カンヌの地形
ヨットハーバー。
向こうにメイン会場が見える。

 カンヌの街は、草刈り鎌状の地形。地中海に面してこの鎌を、刀部をイタリア側に柄の部分をスペイン側においた姿を想像ください。刀部に当たる海岸線は、ほぼ直線に近い緩やかなカーブで、サラサラした粒子の細かい砂浜が長く長く切っ先まで続き、浜辺では甲羅干しや海水浴を楽しんでる。浜辺からあがるとすぐにカンヌのメイン通りであるクロワセット通り、人通りが多いにかかわらず浜辺では結構トップレスで甲羅干しをする方々を多く見かける。通りからそんな彼女たちを見つめる好奇な私の目より、彼女たちの方がより健康で楽しそうだ。気持ちがいいでしょうね。

 刀部から柄部分にさしかかったところに凹の字状の入江があり、ヨットハーバーとなっている。フランス国内ばかりでなく外国からとおぼしき数え切れないほどの大型のヨット・クルーザー、クルーザー・ヨットがマストを林立させている。それぞれこれ見よがしにマストを競う姿はなかなか壮観である。カンヌ湾の沖には、数十の豪華な客船が、浜辺の女性たちに負けず劣らずの白い秀麗な姿を優雅に浮かべている。ああカンヌ!とため息が漏れる。

 ヨットハーバーのイタリア側が、カンヌ湾に向かって丁度三角状に突き出た形になっていて、ここに映画祭メイン会場である、有名な赤絨毯・青絨毯のあるPALAIS DES FESTIVALS(パレ・デ・フェスティバル)がある。公式部門参加の作品はここで上映されるが、期間中は映画を観る機会を作れず、この中にも入れなかった。

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4、HOTEL NOGA HILTON(ノガ・ヒルトン・ホテル)
ノガ・ヒルトン・ホテル

 「監督週間」メイン会場は、ノガ・ヒルトン・ホテル地下にある、800人収容の映画館。ノガ・ヒルトン・ホテルは、映画祭メイン会場からクロワセット通りを、さらにイタリア側に砂浜に沿って約500メートル歩いた、通り沿いの左側にある。このホテルの2階には、通りに突き出て海からの風が心地よく感じられるテラスがある。「監督週間」参加者用のサロンClub Quinzaine(クラブ・カンザーン)だ。ティーサービスや昼食会、上映前の集合・打ち合わせ場所に供されている。「監督週間」の事務局La Malmaison(ラ・マルメゾン)は、ノガ・ヒルトンからメイン会場寄りにあり、隣のGRAND HOTEL(グランド・ホテル)との間にある、白テントで囲われた中だ。ここでは「監督週間」用のパスの発行などの事務手続きや記者会見が行われる。

 私たちの宿舎は、柄の部分に位置した、海岸沿いのレジデンスの3階。ヨットハーバーから300メートルくらいのところで、目の前は道路を隔てて地中海、部屋からは海水浴を楽しむ観光客も見える。日が高くなるにつれ、気温も上がってくると、ここでもトップレスで甲羅干しの姿が見られる。宿舎には、自炊の用意があり、皿・コップ・スプーン、ナベ、ヤカン等一通り揃っている。だだし、レンジは電気だ。米を持ってきたが、これで果たして炊けるだろうか?私たちの移動はすべて徒歩。宿舎からノガ・ヒルトンまでは、歩いて1キロ強のところ。

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