成田を発った飛行機は、新潟から日本海に出た。私は千島列島からアラスカにでるのだろうと思ったが、全然違ってハバロフスクをかすめてシベリア大陸を縦断する形で北を目指し、大陸と北極海の間を巡り、スカンジナビア半島を右に見ながら南下、バルト海を飛び越し、今度はヨーロッパ大陸を縦断するごとくパリに入るというルートだった。なぜか、樺太上空での大韓航空機事件のことがちらりと頭をかすめるなど、今や時代錯誤も甚だしい自分の認識に、われながら呆れてしまった。朝食は済ませてきたが、昼を食べる間もなく飛行機に乗ってしまったので、初めての機内食の味も新鮮でまた格別だった。ついでに、スプーン、フォーク、ナイフを記念に失敬しておいた。
飛行機から眺めるシベリア大陸には、人を遠ざける冷たい気品と荘厳さを感じさせられた。ハバロフスクからしばらくの間、起伏に富んだ山々や谷々が眺められ、これらを巡って流れる細い川が、蛇のようにゆったりとうねって見える。なんという川だろう?緑がありそうだが、人は住んでそうにない。しばらくしてのち下を眺めると、事態は一変、ただだだっ広い平野で、黒っぽい大地となり、また、驚くほど幅の広々とした川が見える。それは、海に向かって、黒々とした流れをゆっくりゆっくりと、なにかに後押しされるような感じで、そこに居た。流れているというより居るといったほうが、ぴったりだ。新潟では阿賀野川の川幅も見たが、これに比べたらどうだろう10倍はありそうだ。これが、いわゆるツンドラ地帯の風景なのだろうかと、まじまじと見る。それこそ人が住むどころか、荒涼をイメージしてしまった。ところで、帰国しての朝日新聞で、ロシアのサハ共和国、レナ川上流のレンスクで「大寒波に見舞われたシベリアでは、厚い氷塊が雪解け水をせき止めて洪水を起こしており、街全体が水没、3万人が避難した」という記事を読んだが、私たちがその上空を飛んでいたまさにその時に、同じ川ではなかったにせよ上流の街では苦しんでいる人たちも居た事を知った。が、そのときは全く認識がなく、ただ眺めていた。
同じ大陸でもヨーロッパ大陸は人の手の歴史を思った。緑が多く一面に畑や森で、これには非常にビックリして飽きずに下を眺め続けた。座席は飛行機の右窓際、進行方向右側しか見られないが、山がなく起伏の少ない巨大な平野に圧倒されつつ、広々した畑や森の中に都市が点々と連なっているのを見ると、むしろ都市はこれらに囲まれて存在しているという感じを強く持った。畑は、緑と黄と茶の色に分けられ、その1枚1枚が大きいこと大きいこと、日本では見られない眺めだ。眺めながらふっと、高校時代の地理の授業を思い出した。緑と黄と茶の意味することは、輪作障害による地力低下を防ぐため土地を3分割し、3年周期で耕作するという三圃農法ではなかろうか、と。
パリもそうした都市の1つで、やはり畑と森に囲まれて、ある優雅さを感じさせる。きっとセコセコしてなくて、長い歴史の中で、それを守り育んできた自信を空から感じた。また、山のないせいか空間に広がりがあって、のびのびとした雰囲気を醸し出していた。
ドゴール空港に到着。同行の山上が、ここの空港には野ウサギが住んでるんだと言う。まさか!冗談だろうと思いながらもよく見ていると、いるんですね、これが。ピーターラビットの歌なんか口ずさんだりして、陽気な気分になる。しかし、パリは夕方の6時頃、日本時間だと夜中の2時頃のこと。パリは夕方とは言えまだ陽は高く外は明るい。体は眠る体勢に入っているのに、目がランランとしている。疲れて眠むたいがまだ昼だよと自分に言い聞かせて体を支えている、変な感じだ。だいたいが夜の7時でもまだまだ陽が高い、9時ころにならないと日は暮れないのだ。
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