| 1984年 | ピーター・ワトキン監督のドキュメンタリー映画『The Journey』のボランティア・スタッフ会合で、ピーター・ウィントニックとマーク・アクバーが初めて出会う。 |
| 1985年 | トロント大学での講演後、アクバーはチョムスキーにインタヴューを申し込み、「この世でいちばん重要な知識人」が物腰柔らかで親しみやすい人物であることを知る。 |
| 1986年 | クイーンズ大学でチョムスキーの講演を聞いたウィントニックは (アクバーのあずかり知らぬところで)チョムスキーの映画の企画をNFB(カナダ国立映画制作庁)に提案するが、あっさり却下。 |
| 1987年 | アクバーもまた(ウィントニックのあずかり知らぬところで)友人たちとチョムスキーの映画を企画するが、見解の相違により空中分解。2人は互いの目指すものが一致することを(ようやく)知り意気投合、モントリオールを拠点に映画を始動させる。 |
| 1987年5月11日 | チョムスキーが映画の企画に賛同。公の場での発言やメディア出演の際にほぼ制約なく撮影することを許可される。 |
| 1988年 | 製作会社「ネセサリー・イリュージョンズ」の立ち上げ。企画の提案、支援依頼の執筆、助成金の申請などで1年はすぎてゆく。 |
| 1988年8月 | ボレックス社製の16ミリカメラ2台をかついでニューヨークへ。チョムスキーの著書『マニュファクチャリング・コンセント』の刷り上ったばかりの表紙を撮影する。またチョムスキーが京都賞を受賞した日本では現地クルーにファックスで指示を送り撮影を敢行。 |
| 1989年3月 | カナダの映画賞「ジニー賞」授賞式でニック・レイドロー博士に出会う。博士の財団はアクバーとウィントニックに対し、それぞれ毎月1000ドルの支援を一年間続けることを約束。彼は残念ながら映画の完成を見ることなく亡くなった。 |
| 1989年4月 | フランシス・ミケが「ネセサリー・イリュージョンズ」に参加、幅広い役割をこなす。製作チームは40ページに及ぶ企画書をつくる。計4000部を国内外のあらゆる財団、企業の基金、有名なプロデューサーなどに手紙とともに送る。カナダ、アメリカ、ヨーロッパの放送局にもコンタクトをとる。ルーカス、スピルバーグ、CBS(アメリカ)、CBC(カナダ)、コカ・コーラ社などから丁重な断りの返事。オランダ、フィンランド、ノルウェーのテレビ局は関心を示す。 |
| 1989年10月 | 資金が底をつく。何千フィートにも及ぶ未現像のフィルムが、アクバー自宅のリビングに缶ごと積まれた。ポラロイド写真を撮り、NFB(カナダ国立映画制作庁)の撮影所トップあてに、「この人質を解放して」と懇願する手紙を送る。 |
| 1990年1月 | よいニュース:NFBのスタジオCと技術面における共同製作の契約。フィルムは無事現像された。悪いニュース:役所間の協力体制が整っていなかったため、もらう予定の助成金が没収されるという事態に。 |
| 1990~91年 | もともと少ない自分たちの収入をさらにけずり、また資金集めに時間を費やしながら、合間を縫って撮影を続行。イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、北米ではワシントン、シアトル、ララミー、ロウ、ロチェスター、ボストン、ナナイモなどの都市をまわる。 |
| 1990~92年 | 2時間半のラフカット版が、ゲルフ国際映画祭で最も来場者を集めた上映作品に。10数回の試写を行い、600人を超す人々の意見や感想を参考に編集作業を続ける。 |
| 1991年2月 | 『ニューヨーク・タイムズ』紙の社内ツアー撮影許可がおりない。撮影班は同紙論説委員のカール・E・マイヤーのインタヴュー収録後、隙を見てすばやく社内の撮影を行う。 |
| 1991~92年 | 編集が進むなか、ドラマ仕立て部分の撮影が行われる。東ティモールの記事から肝心な箇所がとりのぞかれ転載された様子を外科医の扮装でリアルに描いた場面など。解説のためのアニメーションも制作。スポーツについてのチョムスキーの見解をわかりやすく伝えるため、映像をオリンピック・スタジアムの特大ビデオスクリーンに映し出して撮影した際には、照明をつけるだけで400ドルもの電気代の請求がきた。クリスティーン・バートは音楽の使用権利を得るため奔走。アーティスト本人の協力を得て、デヴィット・バーン、ローリー・アンダーソン、バッファロー・スプリングフィールド、カーティス・メイフィールドらの音楽を使うことが可能に。 |
| 1992年初頭 | 劇場用のドキュメンタリー映画と、テレビ向けの番組シリーズと、両方を作るだけの素材があることに気づき、当初は75分を予定していた映画の上映時間を165分に拡大。 |
| 1992年6月18日 | シドニー国際映画祭でテスト・プリントを初公開。『チョムスキーとメディア』はドキュメンタリー47作品のうち、観客のアンケートで「観客にもっとも愛された作品」に。チョムスキー夫人が、この映画を「すばらしい作品、どこに出しても恥ずかしくない」と評し、製作スタッフ一同胸をなでおろす。 |
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