波紋と衝撃
「牛腸茂雄の波紋と衝撃」
 『SELF AND OTHERS』を試写室で観終えて、ほんとうにひさしぶりに、席からすぐ立ち上がれないような、奥深い衝撃を味わった。僕のような仕事をしていると、どんな作品に対しても、あらかじめ自分の反応を組みこんで接しがちになる。この程度のものだろうとあたりをつけ、ある種の換算表のようなものに従って感情をコントロールし、言葉を紡ぎ出していく。不幸なことに、その予想された定式が破られることは、めったにない。

 ところが『SELF AND OTHERS』についていえば、そのような予想や身構えは、完全にくつがえされてしまった。いくつかの場面 で、文字通りからだが震えるようなショックを覚えた。いや、むしろそれは“恐怖”といっていいほどの感情の昂ぶりだったかもしれない。「おいおい、これはホラー映画じゃなかったはずだろ。」試写 室の闇のなかで、そんな思いにさえとらわれていた。

 何が僕をそれほどまでに震撼とさせたのか、その答えは後で書くとして、あらためて牛腸茂雄(ごちょう・しげお)という写 真家との関わりをふりかえってみたい。実は1983年に36歳で早世した彼とは、生前一度も顔を合わせたことがない。もちろん、作品はよく目にしていたし、彼が1977年に開催した個展「SELF AND OTHERS もう一つの身振り」(ミノルタフォトスペース新宿)も観に行っている。何の展覧会か忘れたが、芳名帳の少し前の欄に、牛腸の名前が記されているのを見た記憶もある。

 だが、どういうわけか、彼本人とはずっとすれ違ったままだった。死去の報せも、比較的冷静に受けとめていた。彼が残した『日々』(1971)、『SELF AND OTHERS』(1977)、『見慣れた街の中で』(1981)という3冊の写 真集も、古本屋等で見つけて買いそろえたのは、たしか80年代の終わり近くになってからだった。

 ところが、死後10年近くたった頃から、なぜか彼の仕事が気になりだした。そのことを以前、「躓き(つまづき)」という言葉で言いあらわしたことがある(「牛腸茂雄ノート」『SELF AND OTHERS〔新装版〕』、未来社、1994)。むろん、否定的な意味ではない。この躓きの石には、僕を、そして彼に関わる多くの人たちを、思ってもみなかった方向へとねじ曲げ、未知のどこかへと連れ去るような力が秘められていたのだ。

 その力に押されるように、当時僕が編集していた季刊写真誌「deja-vu」8号(1992)で、牛腸茂雄の特集を組んだ。彼の写 真は本人も認めていたように、人目を引く派手な装いを身にまとっているわけではない。この特集号も、すぐに目立った反響はなかった。ところが、静まりかえった沼に投げこまれた小石が、少しずつ波紋を広げるように、その不思議な力は、驚くほど長いスパンで、さまざまな人たちを動かしていくことになる。

 展覧会が開催され、TV番組が作られ、代表作『SELF AND OTHERS』の新装版が刊行された。佐藤真が「牛腸茂雄のまなざし」をテーマに監督した、このドキュメンタリー映画『SELF AND OTHERS』も、当然その波紋のひとつである。おそらくこれから先も、多くの制作者が、そして観客が、彼の仕事に「躓き」続けていくのではないだろうか。

 一見静かな、ことさらに気負いもなく、淡々と撮影されているかに思える牛腸の写 真のどこに、そのような強い力が潜んでいるのか。この映画を観て、手がかりのひとつをみつけたような気がした。彼の写 真は、優しさ、愛情、共感といったタームで語られやすい。僕自身も、何の疑いもなくそんな言葉を使ってきた。ところが、彼の写 真のモデルとなった人たちが異口同音に語っているように、時にそれは苦痛や違和の感覚をもたらすことがある。人間の存在の光の領域に目を向けながら、同時に闇の淵にもまなざしを届かせる――牛腸の仕事が、そのような危い綱わたりの結果 として引き出されてきたことが、よくわかった。

 そろそろ、僕がこの映画で何に最も衝撃を受けたのかを明らかにすべきだろう。“声”である。牛腸が生前に吹きこんでいたというテープの声、まぎれもない彼の肉声を聞いた時、何かががらがらと僕のなかで崩れ落ちたのだ。それは、決して耳ざわりのいい声ではなかった。彼の写 真と同様に、そこにもどこか聞く者を苛立たせ、激しく揺さぶる毒が潜んでいるように思えてならない。最初に書いたように、それは僕から、恐怖の感情を引き出し、混乱させ、深い傷を負わせた。あの声のトラウマを反芻することなく、彼の写 真を見ることはもはやできない。

 「もしもし、きこえますか。これらの声はどのようにきこえているんだろうか。」牛腸はどんな気持ちで、テープレコーダーに向かっていたのだろうか。もしかすると、彼は死後この映画が作られ、彼の声が暗闇を渡ってわれわれの耳に届くのを予測していたのかもしれない――そんなふうに想像させてしまう、強烈な実在感がそこにはある。

 佐藤真はすごい映画を作ってしまった。
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