2003年春、夫グレッグは54歳で亡くなりました。予想だにしない、あっという間のことでした。原因は肝臓がん。ベトナム戦争時に浴びた枯葉剤が原因ではないか、と友人に指摘され、私は枯葉剤について知り、今のベトナムを自分の眼で確かめたい、と思いました。悲しみを乗り越えるため、何かをせざるを得なかったのです。
生前撮っていたホームビデオの存在も映画をつくる動機のひとつだったかも知れません。ホームビデオを再生することで、彼が生き返ったように感じられ、声や姿を何度も繰り返し再現したいという思いに駆られました。もっと彼の存在を感じたい。映画にすることによって、彼の存在が蘇るのではないかと思ったのです。
ベトナムでは、枯葉剤の被害者は至る所にいました。30年前には生まれてさえいなかった子ども達が、様々な病気や生まれながらの障害に苦しんでいる。しかし、大変な困難と貧困の中にありながら、愛や情、暖かさを忘れない人々にあらゆるところで出会い、レンズを通して優しさに包まれました。撮影中は自分の悲しみも忘れ、とても充実したときでした。
この映画製作に携わることで、私は苦しい数年間を生き延びてこられました。ベトナムの人々やグレッグに生かされてきたのです。そして、映画が完成したことにより、私のグレッグに対する気持ちにひとつあきらめがつきました。グレッグは死んでしまった。でも、彼の存在は違う形で残されました。時間がかかってもいい。この映画を通して、水の波紋が静かに広がり続けるように、グレッグのメッセージが世界中に広がっていくことを願っています。
坂田雅子(SAKATA Masako)
ドキュメンタリー映画監督。
1948年、長野県生まれ。65年から66年、AFS交換留学生として米国メイン州の高校に学ぶ。帰国後、京都大学文学部哲学科で社会学を専攻。
70年にグレッグ・デイビスと出会い、結婚。写真家としてのグレッグの仕事を手伝うかたわら、76年から、写真通信社インペリアル・プレス勤務。
95年、社長に就任。98年にIPJを設立し社長となる。
2003年のグレッグの死をきっかけに、枯葉剤についての映画製作を決意し、米国メイン州のフィルム・ワークショップでドキュメンタリー映画制作の基礎を学ぶ。04年から06年、ベトナムと米国で、枯葉剤の被害者やその家族、ベトナム帰還兵、科学者等にインタビュー取材を行う。
2007年、坂田雅子製作・監督・撮影・編集で、映画『花はどこへいった』(英語タイトル『Agent Orange -a personal requiem-』)を完成させる。
2008年、映画にもとづく同名のノンフィクション「花はどこへいった ~枯葉剤を浴びたグレッグの生と死~」(トランスビュー刊)を発表する。