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「すべての戦争は自衛の名の下で行われています」 |
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1938年、ロードアイランド州生まれ。歴史家、マサチューセッツ工科大学教授。日本の戦後史を描いた『敗北を抱きしめて』(岩波書店)でピューリツアー賞他多数受賞。他に『容赦なき戦争』(平凡社)など。「原爆の図」の丸木夫妻の画業を辿ったジャン・ユンカーマン監督によるアカデミー賞ノミネート作『HELLFIRE
劫火』(1988年)の共同製作者でもある。 |
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「押しつけ憲法だから問題なのではありません。すべてのいい憲法は、たいてい民衆が政府に押しつけたものです」 |
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1936年、サンフランシスコ生まれ。作家・政治学者。1960年に海兵隊員として沖縄に駐留、翌年除隊。1980年から2000年まで津田塾大学教授。現在沖縄を拠点に執筆・講演活動を行う。著書に『ラディカルな日本国憲法』『憲法と戦争』『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』(晶文社)、『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(平凡社)など多数。 |
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「憲法"改正"問題を国内問題にしちゃダメですよ。国際問題ですから」 |
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1917年、中国・青島市生まれ。社会学者。大学紛争の際に東京大学・新聞研究所の教授を自ら辞する。その後京都精華大学教員を経て渡仏、現在パリ在住。国民文化会議の代表を長く務め、水俣病の運動や部落解放運動などの市民運動に参加、日本の良心的知識人として現在も社会的発言を続けている。『戦後思想を考える』『私の平和論―戦前から戦後へ』(ともに岩波新書)など著作・訳書多数。 |
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「平和がいちばん、今世界でいちばん大きい重要な問題ですから、日本がそういう指導者になれば、素晴らしいことになると思います」 |
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1923年、ウイーン生まれ。5歳の時、ピアニストの父レオ・シロタと共に来日、少女時代を東京・乃木坂で過ごす。15歳で単身渡米しミルズカレッジを卒業。1945年12月、日本に残っていた両親に会うためにGHQ民政局に職を得て再来日、憲法草案作成に携わる。その後米国に移住し、ジャパンソサエティ、アジアソサエティにおいて日米文化交流につくす。著書に『1945年のクリスマス』(柏書房)。 |
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「武力行使の放棄を誓った第9条こそが、日本のアジア諸国に対する戦後謝罪だったのです。第9条の放棄は謝罪を放棄することです」 |
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1931年、フェニックス生まれ。アジア政治学者、元カリフォルニア大学バークレイ校・同大学サン・ディエゴ校教授。元CIA顧問。東アジア圏における米国の帝国主義的政策は必ず報復を受けると分析した著書『アメリカ帝国への報復』(集英社、原題『Blowback』)は9.11のテロを予告したと話題になる。他に『アメリカ帝国の悲劇』(文藝春秋)など。1994年に「日本政策研究所」(JPRI)を設立、現所長。 |
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「自衛隊のイラク駐留は国際法違反だと思います」 |
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1940年、シリア・ラタキア生まれ。作家、シリアの民主活動家。カイロ大学で学ぶが、学生運動に関わり1961年に国外退出を求められる。その後ドイツに移りミュンヘン大学を1966年に卒業。ルモンド紙、ユマニテ紙など世界中の様々なメディアに寄稿。独裁政権を批判し、3年間投獄されたことも。2000年の「ダマスカスの春」の中心的指導者である。著書に、『A
Passing Peace』、『By Will, Not by Destiny』など。ドイツ語からアラビア語への翻訳書多数。 |
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「憲法については何よりもまず、日本の近隣諸国に問うべきでしょう」 |
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1949年、ベイルート生まれ。レバノンのアル=サフィール新聞編集長。レバノンとフランスの大学で学んだ後、1974年より記者として活動を始め、『Al-Watan』紙ほか各紙に携わる。1980年にパリでアラブ各国の知識人が参加した雑誌『7日目』を創刊。1984〜1995年、政治的理由によりパリへ亡命。著書に、『A
Passing Peace』、『By Will, Not by Destiny』など。アラビア語への翻訳書も多数。 |
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「憲法第9条はまるで、神が私たち人類に贈ってくれた宝物のようです。」 |
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1958年、中国・撫順市生まれ。作家・映画監督。1987年に来日、上智大学大学院にて学ぶ。中国残留日本人女性について書いた著書『曽おばさんの海』(朝日新聞社)で朝日ジャーナル大賞受賞。旧日本軍による中国人への性被害の問題を長年にわたり取材、『チョンおばさんのクニ』(2000年)、『Gai
Shanxi and Her Sisters』(2004年)などの記録映画を制作した。 |
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「軍隊と女性の人権蹂躙というのは密接に結びついています」 |
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1950年生まれ。女性の意識向上、女性への暴力と差別の撤廃、性売買撤廃をはじめ、女性人権問題に幅広く取り組んできた女性運動のリーダー的存在。韓国内にとどまらず、国際社会を舞台に精力的に活躍。現在、韓国挺身隊問題対策協議会・常任共同代表、国連女性差別撤廃委員会・委員(副議長歴任)、慶熙(キョンヒ)大学NGO大学院・客員教授。 |
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「韓国と日本の若い世代が、平和的な感受性を一緒に育てていくことが大事だと思います」 |
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1959年、ソウル生まれ。2000年、聖公会大学教授に就任、現在同大学人権平和センター所長。大学での講義のかたわら、市民運動に多くの時間を捧げている。平和博物館の建立や良心的兵役拒否の運動などに関わるなど、韓国現代史を見直す活動を積極的に行い、新進の歴史家として注目される。近著『大韓民国史』(邦題『韓洪九の韓国現代史』)は韓国でベストセラーに。 |
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「21世紀の東アジアではなぜ東アジアの人々の力で、自分たちの平和を維持できないのだろうか。なぜ、海の向こうの米軍がこちらにこなければ平和が維持されないのか」 |
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1933年、慶尚南道生まれ。韓国歴史学の大家ともいわれる歴史研究者。尚志(サンジ)大学総長、高麗(コリョ)大学名誉教授。1976年以来母校の高麗大学の国史学教授であったが、1980年、政府の圧力により大学を追放された。民主化運動参加を理由に投獄された経験も。現在、韓国と北朝鮮の学術交流において主導的役割を果たす。『分断時代の歴史認識』(学生社)他、多数の著書、論文あり。 |
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「もし日本がアメリカの体制に加わるなら、これは20世紀への逆戻りどころか野蛮時代への逆戻りでしょう」 |
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1928年、フィラデルフィア生まれ。マサチューセッツ工科大学教授。1950年代後半以降、生成変形文法理論の成果を発表、言語学の世界に革命をもたらす。一方で、ベトナム戦争以来、長年にわたり米国の外交政策を鋭く批判する活動を続けている。著書に『中東
虚構の和平』(講談社)、『マニュファクチャリング・コンセント』(トランスビュー/2005年末刊)など。 |
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