三池炭鉱が閉山して1年半後、地元、大牟田市が「歴史を活かしたまちづくり」というシンポジウムを主催しました。その席上、前作『ふれあうまち』で住民による新しい“まち育て”を描いた監督が発言しました。「まちの再生は、炭鉱と炭鉱に生きた人々の声に耳を傾け、事実を伝えていくことだ。」と。
同じ思いを抱いた市の職員がいました。まず、予算を獲得するだけで3年。こうして2001年から、三池炭鉱を映像で記録し保存する「こえの博物館」プロジェクトが始まりました。2年がかりで72人の方々の証言に耳をかたむけ、110時間分の撮影をしました。
始めた頃は、三池争議から40年もたつのに、まちが二分されたしこりが強く残っていました。そして坑内事故の被害者たちは、長引く病気を抱えひっそりと生きていました。多くの人々が、もう炭鉱のことなど世間から忘れ去られているのでは、という不安の中で、体験と思いを語ってくれました。
インタビューした6人の方がすでに亡くなり、壊された建物もあります。
話したこと、作品づくりにかかわったことで、人々の気持ちが変わっていきました。
かかわった人々に共通の思いが交差し、響きあい、石炭が燃え上がるようにして、映画が出来上がりました。こうして作った20分、40分、90分の3種類の作品が、それぞれに、様々なコンクールで受賞しています。今回の作品は、それをさらに2年かけ練り直した集大成です。
全国広報コンクール 特選(最優秀)/総務大臣賞/読売新聞社賞
地方の時代映像祭 市民・自治体部門 優秀賞(最優秀)
全国地域映像コンクール 審査員特別賞
「市民自治体CATV局部門の優秀賞には、大牟田市制作『炭都シンフォニー みいけ 炭鉱(やま)の声が聞こえる』が選ばれました。自治体がこうしたドキュメンタリー作品を制作する時、その歴史が抱え込む負の要素にまなざしを向けることをためらう場合が多いのです。しかし大牟田市は、かつて日本の基幹産業であった三池炭鉱が閉山して5年、そうした負の歴史を後世に残そうとして、まさしくドキュメンタリーの精神に徹した作品を作り上げたことに、改めて深い敬意を表したいと思います。かつて炭鉱では、朝鮮や中国より拉致された人たちに強制労働を強いて、日本の受刑者や戦時下の外人捕虜をも炭鉱で働かせたのです。そして59年に起こった労働争議は、組合を二分し、痛ましい暴力へとエスカレートし、さらに炭塵爆発事故と後遺症患者の救済問題が、この町に重くのしかかったのです。しかし、こうした負の歴史を乗り越えるには、それを直視し、それを現代への苦渋に満ちた提言として伝えるしかありません。その意味では、放送局部門で評価された各作品と、なんら遜色のない、あるいはそれを越えるドキュメンタリーだったといえるのではないでしょうか」 (審査講評より一部抜粋)