語りつぐ人たちの言葉

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親子三代炭鉱で暮らし続けた 松尾けいこうさん

おばさん連中はたくましかったですもんねぇ。お風呂から帰るおばさん連中は、腰巻1枚、腰に巻いて、肩に濡れダオルをパッと掛けて、もうおっぱいもなんもブラブラですよ。のっしのっしって歩いてたような感じでですね。それも、誰も不思議と思わんのですねぇ。

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炭鉱マンだった 竹川一正さん

掘り始めて一番こわいのは、天井に空洞ができて100メーターくらいの真四角になった時、いっぺんに落つることがあるわけです。もう人間が人間でなかごして吹っ飛んでいくんですね。

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炭鉱マンだった 猿渡 孝さん

坑内に弁当持っていって、ねずみにくわるっとが一番きつかったですたい。…仕事しよるときに、どこか下げとるでしょうが。そうすると、ひだるかとき、“ご飯食ぶか”ちゅうて、自分の弁当を見ると風呂敷の袋が破れとるでしょうが。

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戦時中、白人捕虜として炭鉱で働かされた レスター・テニ‐さん

耐えられなくなり、仕事から逃れるためには何でもやりました。もし今日炭鉱に入ったら自分は殺されてしまう、どうしたら働かないですむか必死に考えたんです。そのためには腕を折ったり、指をつぶしたりしました。脚や肩の骨をつぶす者、腕を折る者、できることは何でもやりました。

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現韓国から強制連行された 沈 載吉さん

具合悪うして2日休んだだけで、憲兵に捕まって真っ黒い血が出るくらい打たれて打たれて…。今日、話してスッキリしました。

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三池争議を闘った 西脇仲川さん

みんなは第二組合に行った人たちを敵視して、交流もせんじゃったですよ。落盤におうた時には、第一もない第二もない。互いにしっかりしろと引き起こしてきたのが、われわれの坑内生活じゃないかと。

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三池鉱業所労働課長だった 大澤誠一さん

(批判勢力の人たちの会合に対して)そりゃ、昼飯代、晩飯代くらいのわずかな金、それも立て替えたかだねぇ。立て替えたかというと、そりゃあまぁ、私の名前で書いておきなさい、というのは、そりゃあったでしょうな。うん、まったくないといえば嘘でしょうから。

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三池労組副組合長だった 久保田武巳さん

(三池争議の労組側の資金は)組合員一人あたり300円。(全国の炭労の組合員)400万人にして12億。あと8億はですな、いろいろなカンパ、それから寄せ集め。よう集まったですよ。(会社側は)もぐもぐいいよったが、220億使うたって言って。ちょっと多いね。しかし昔からこういう大闘争になると、(会社と組合の資金は)10対1って。

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三池新労第二代組合長だった 山下一二さん

希望退職をしたい人たちもおったんです。計算すると、辞めた方が儲かるんです。ところが、“希望退職をする者は除名をする”と。つまり組合の統制です。そのときに我々が一番恐ろしかったのは、総評に3万人の動員を要請して、刷新同盟の組合に対して、大衆説得を行うのです。つまりつるし上げです。で、もう明らかにこれをやられたら刷新同盟は崩壊する、と。崩壊すると同時に、永久にいじめられていくという判断をして、結局新労結成する以外はないんじゃないか、と。

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三池炭鉱主婦協議会初代副会長だった 秋吉米子さん

婦人会から壊れていきましたから。女同士で、直接引き留めはできませんよ。だって、女には生活がかかっていますから。米も、味噌のやりくりもね、ご主人じゃなくて奥さんがするでしょう、どこも。子どものおやつもこの程度にして、それでも栄養は考えなきゃならんし。女から崩れていったんです。女がこれ以上どうにもならないって言うたら、ご主人はどうしても揺らぎますよね。だからね、婦人会つくったのがよかったのか悪かったのか、そりゃー相当思いましたね。

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炭じん爆発事故を体験した 池畑重富さん

坑内の電気が一斉にバンと消えて、電話もバシッてちゅうて切れたわけです。本線に出たら真っ黒な煙がブォーッて流れてきよったんです。その排気道の中にも、煙がずっと漏れてきて、段々段々暗くなりよったですもんね。水の中に頭突っ込んで、もうブルって身体を動かしてからですね、黙って身体動かんようになっていきよる姿とか、大声で叫びながら子ども達の名前ば言う人とか、…自分自身もわからなくなってしもうて。そこで私も気を失ってしもうたです。

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炭鉱事故で夫がCO(一酸化炭素)中毒になった 首藤心子さん

一口に38年て言いますけど、一日一日365日、1年間掛けるの38年間ですよね。言葉には言い尽くせない苦労と悩み、悲しみ。人間でなく、一番人間の大事な脳をやられていますよね。で、外に見えない。まったく別人に変えられた人間破壊ですよ。これ、どうしてくれる。