Copyright © Ann-Cristine Jansson
監督の言葉
ミツバチは代々、私の家族を養ってくれました。祖父の缶詰工場は、ミツバチのおかげで存在していたのです。祖父は、ミツバチの巣箱が果物とベリーの庭に置いてある理由を教えてくれました。「人が口にする食物の三分の一は、ミツバチがいなければ存在できない」と。
それなのに今、世界中でミツバチが消滅しつつあります。ニュースでは、その原因は謎とされています。私はその答えを見つけるために、旅に出ることにしました。ミツバチとその秘密に溢れた群れ=超個体は、旅を進めれば進めるほど、映画の主役としての存在感を増してゆき、人間より大きな役割を担うようになりました。この映画で私が狙ったのは、いま何が起きているのかを観客に分かってもらえるようにすること、そしてグローバル経済が小さな昆虫に加えているプレッシャーに注意を促すことでした。
撮影の際は、ひとつの場所から次の場所へとすぐに移動して、世界の視点で映画を撮るのではなく、むしろ、じっくりと腰をすえて、主要な語り手たちと付き合い、彼らを理解しようと心がけました。語り手は主に養蜂家たちで、一人一人が自分の意見を持っています。私たちの主眼は、人間としての彼らを理解することでした。彼らの毎日の仕事を観察し、彼らが抱いている実質的な不安を真摯にとらえ、また、蜂群が崩壊したり処分を余儀なくされたりしたときに、彼らに寄り添い、痛みを分かち合いました。
ミツバチは毛に覆われた巨大な眼や独特の殻のために、まるでよその惑星からやってきた魅惑的な生き物に見えます。大きなスクリーンの上で、彼らは人間と同じくらいに、時にはもっと大きく映し出されます。ミツバチと新自由主義市場経済の戦いにおいては、蜂の仲買人が養蜂家に、もっと成績を伸ばすよう無理強いし、養蜂家は蜂に同じことを無理強いします。ミツバチたちは、ライン生産の労働者のように、ボタンを押せば動くだけの機械にされているのです。この意味では、(生意気な意見かもしれませんが)「みつばちの大地」は、チャップリンの「モダン・タイムズ」(1936)に少し似ています。いわば、「蜂が語るモダン・タイムズ」といったところでしょうか。