80年に慶北大学師範学部国語教育学科を卒業。大邱で7年間演劇活動をし、10本余りの作品で演出や俳優を担当する。81年から87年までは、教師として教壇に立つ。83年に、《戦利》で小説家デビューし、東亜日報新春文芸中編小説部門に選出される。87年、南北分断下におけるタブーを題材にした小説《焼紙》(初出は85年)のほか、《親忌》、《紐》などを発表。同年の《運命に関して》は、李箱文学賞推薦優秀賞を受賞した。92年に発表した《鹿川には糞が多い》は韓国日報文学賞を受賞する。《焼紙》は、日本でも《現代韓国短篇選(下)》(岩波書店、02年4月)に収録され刊行されている。
93年、友人のパク・クァンス監督『あの島に行きたい』(94/TV)の脚本家兼助監督として参加したことをきっかけに、映画界へ進出。96年には、同監督『Jeon tae-il/美しき青年-全泰壱(チョン・テイル)』(F)で第32回百想芸術大賞シナリオ賞を受賞し注目を集める。同年、俳優のミョン・ゲナム、ムン・ソングン、ヨ・ギュドン監督とイーストフィルムを設立、97年に『グリーンフィッシュ』を製作、監督デビューを果たす。98年には、スクリーン・クォーター汎映画人非常対策委員会政策スポークスマンをつとめ、スクリーン・クォーター制死守の先頭に立ち、99年には、アイチム・シナリオ創作基金責任作家と、映画投資会社であるユニコリア文芸投資理事に就任。シナリオ作家の育成や、韓国映画に対する投資などにも尽力する。(00年には、スクリーン・クォーター監視団が拡大・再編されたスクリーン・クォーター文化連帯の政策委員会委員長に就任。)
監督・脚本を手掛けた二作目、ソル・ギョング主演の『ペパーミント・キャンディー』(99)は、NHKとの共同製作作品で、98年秋に韓国において日本映画が部分解禁されて以降最初の日韓合作となった。また、この作品は第4回釜山国際映画祭で韓国映画としては初めてオープニング作品に選定され、翌年には第53回カンヌ国際映画祭<監督週間>に招待されるなど国内外で高い評価を受けた。続く、『オアシス』(02)は、第59回ヴェネチア国際映画祭で監督賞に輝く。03年2月には、映画界から一時退き、ノ・ムヒョン新大統領の下、文化観光部長官(日本の文化庁長官にあたる)に就任し、韓国における日本文化の開放を含む、様々な文化政策の実現に尽力した。 07年、5年ぶりとなる新作『シークレット・サンシャイン』を発表。第60回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、チョン・ドヨンに主演女優賞をもたらした。09年、ウニー・ルコント監督のデビュー作『冬の小鳥』をプロデュース。本作『ポエトリー アグネスの詩』で、第63回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した。
※スクリーンクォーター制
:自国内で製作された映画の上映を日数・スクリーン 面数などの最低基準を設けて国内の映画館に義務付ける制度。日本では45年に廃止されて以降、行われていない。
『 』…日本公開「 」…日本未公開『 』(F)…映画祭上映
『 』(DVD)…DVD発売『 』(TV)…テレビ放映《 》…小説
資料提供:西村嘉夫(シネマコリア代表)
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