マリアム・サイードさんより推薦の言葉

映画はエドワードの人生を思索的に探りながら、ゆっくりとエドワードが棲んだ世界に観客をいざないます。エドワードは出てこないのに、映画の隅々までエドワードの存在に満ちあふれている...。そのようなしかけを通じて、彼の思想や、彼の国および民の物語が、見事に浮かび上がっています。
マリアム・C・サイード大江健三郎(作家・文学者)

エドワード・サイードの「不在」の風景のなかを、ゆったりと美しいカメラが、いつまでも追ってゆく。パレスチナ、イスラエルの苦しみのひだひだが照射される。人々の色濃い思い出を横切るサイード。そしてサイードの「希望」が私らの頭上に現われる。
板垣雄三(東京大学名誉教授)
パレスチナ人はユダヤ人国家が生み出した新しい「ユダヤ人」だ。その生を選びとったサイードは、自覚的に場所を超え続けようとして時間を超えた。この映画も、観るたびに納得を突き抜ける新境地の探索が求められる。
四方田犬彦(映画史研究者)
アメリカ人でも、ユダヤ人でも、パレスチナ人でもない、ほかならぬ日本人がこのドキュメンタリーを制作し、監督した。世界のどこにも家を見つけることができない者の物語を語るのには、ひとたび世界への帰属にエポケーをかけないかぎり、不可能なことだろう。
中野真紀子(書籍版『エドワード・サイード OUT OF PLACE』共著者)
監督が出会った人々の言葉や人生から浮かびあがるのは、サイード的な生き方が、じつは今日の世界を生きる現実に他ならないことです。大勢の人々が故郷を離れ、難民として、あるいは生活向上のため異郷に暮らす現状を、予言したかのように。
臼杵陽(パレスチナ・イスラエル現代史研究者)
パレスチナとイスラエル、アラブとユダヤなど敵対関係として設定されたアイデンティティ・ポリティックスの境界をいかに越えるか。佐藤さんはサイードを通してこの問題に正面から取り組んでいる。そして監督一流の対位法的手法と諧謔的エピソードの挿入にその可能性の一端を垣間見たのは私だけだろうか。