死民の道
チッソの責任を問う、水俣病患者たちの”死民”の叫び
水俣映画班
1972
40分
製作:水俣映画班
監督:一之瀬正史
撮影:一之瀬正史/堀傑
ネガ編集:竹村重吾/藤田末光
録音:TEA
1971年11月から翌年3月までの水俣病救済をめぐる東京での交渉の記録を丹念に収めた貴重なドキュメント。
東京のチッソ本社前の坐り込みテント闘争が11月1日から断行され、12月には直接交渉が始まった。年末もおしせまる24日、テントが実力で排除される一幕もあったが、テントは再び設営される。
年が明けて1月7日、「五井事件」がおきる。チッソを「恥ツ素」とするユーモアが水俣の人たちにはある。坐り込みが3カ月に及んだ2月19日、坐り込みを絶対とかないと決意表明。ようやく27日に環境庁長官の立ち会いの下で、沢田熊本県知事やチッソの社長らが交渉の席に現われる。「89人の患者さんたちは年金を払っているので満足している」との社長の言明のそらぞらしさ。「患者としてくたびれました」という言葉に返す言葉はない。
生活の破壊、村からの重圧、家族の負担につぶされるのを耐える人びとの心はただ「患者の苦しみを知ってほしい」と願っている。「チッソあっての政府、政府あっての企業、環境庁も(チッソを)つぶせんでしよう」とすら見切っているのだ。
3月9日、再びもたれた交渉の席でチッソ側は「会社としては話がまとまっていないので了承してもらいたい」「20万円の内金で願えませんでしょうか」ともちかける。そして21日、ついに交渉は決裂。第三者機関に調停が託されることとなった。
画面に出てくる双方の顔の、とくに視線に注目してほしい。ともすれば下方に落ちていきがちなチッソ側の視線とまっすぐ心につきささるような水俣の患者、関係者の視線が実に対照的で印象に残る。
「実録公聴委」「勧進」「死民の道」:3作品同時収録
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